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大量の石膏ボードに泣かされた話し

これは1995年1月の阪神・淡路大震の時の話しです。
 
当時、まだまだ1人前の大工になっていない私は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の次の日には神戸に行き、新開地公園で氷水の沼の中で仮設住宅の基礎を作っていました。
 
仮設住宅を何軒も何軒も作り続けて、半年間ほど経過した夏前に1人で1棟のアパートの大工工事を任されました。
 
まだまだ半人前の私ですが、当時は神戸に大工不足で誰でもよいから工事をしてくれ状態だったので、半人前の私に無理矢理で請けさせられました。
 
土台、大引、建前、床、壁、屋根、ほとんど1人で泣きながら作業をしていました。
 
もう、1人で24時間営業です。
 
現場で倒れるまで作業をする。
 
倒れたら、そのまま現場で寝る。
 
3~4時間後に目覚めたら作業開始。
 
という感じで、風呂は2週間に1度なんて過酷な生活でした。
 
そんな、ある日、石膏ボードの搬入がありました。
 
朝6時頃に現場に行くと、道路の真ん中に石膏ボードが山積みになっています。
 

その石膏ボードの枚数は7,000枚!
 
2階建てのアパートの部屋に間配りしなければいけないのですが、石膏ボードで道路を塞いでしまっています。
 
石膏ボードの配達員が道路の真ん中に置いたからです。
 
当時は石膏ボード不足と、石膏ボードの必要な現場が多過ぎて、運転手も常にイライラしている状態でした。
 
通行止め状態で、車はクラクションを鳴らして文句を言ってくるし、近隣の方も朝の6時から集まってくる騒ぎで
 
ついに、警察まで出動する騒ぎになりました。(バイクの警官1人だけでしたが)
 
「とりあえず、建物の中に運びます。」と、説明して運び始めたのですが、なんせ7,000枚です。
 
天井用のサブロク版と壁用のサンパチ版の合計7,000枚。
 
誰も手伝ってくれません。
 
昼過ぎ頃、半分くらい運べたでしょうか。。。
 
まだ、近隣の方は騒ぎ、車の人は文句を言ってますが、フル無視でもくもくと運びます。
 
最初はサブロク版を4枚ずつ運んでいたのが、3枚になり、2枚になり、1枚しか持てなくなってきます。
 
そして、21時頃、4,000枚、運び終えました。
 
サブロク版1枚が100kgにも感じる重さになっていました。
 
当時、なぜ、逃げ出さなかったのか不思議ですが、変な責任感があったのでしょうね。
 
震災直後なので、(神戸全体が)会社の人も手伝いに来てくれるような状態ではなかったので、1人で運び切りました。
 
阪神・淡路大震災から30年近く経過しましたが、人生で最も辛かった思い出の1つです。

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